よもやまばなし

コロナが教えてくれたこと。

今日は伴奏させてもらってる学生の公演を観ました。

コロナの件で公演はキャンセルになり、

“ホール”ではなく”学校のスタジオ”で公演ではなく、関係者がのみ観ることになりました。

 

関係者のみ。というか、

ほぼ先生のみ。

生で伝わって来る感動に、たくさんの人に見てもらえなかったことが悔しく思いました。

 

 

公演が中止になることもあり、卒業式が中止になることもある。

 

普段そこにあるものが“ない”状態になることがある。

 

それも震災のようなはっきりと被害と必要なものがわかり、

対処が立てやすいものではなく

目に見えたい細菌なので尚、どうしようもない感があります。

 

 

僕のことでいうと、

ライブが立て続けになくなり(春休みに入り学校の伴奏もないので本当に演奏する機会がないです)

こんなに演奏(ステージ)がない生活は大人になってから初めてじゃないかなというくらいです。

 

もちろん理性ではイベントはない方が良い。

もう少し終息してからイベントをした方が良い。

わかっているんですが本能は演奏したい欲を感じています。

 

演奏する機会があり場所があり楽器があり

見てくれる人がいる奇跡。

 

どの業界でも

ライブ配信がしたら?

とか

VRで投げ銭がいい

の代替案に大賛成派でしたが、

今日のパフォーマンスをみて考えが変わりました。

 

リアルの美しさ。

演者がそこにいるというリアル。

場所がそこにあるというリアル。

人間の中にある長年かけて築いた身体能力のリアル

空気と床を伝わってくる振動。

作品自体が放つ感動。

それらの相乗が生み出す圧倒的な感動。

 

どこまでインターネットの技術が進歩しても本物には勝てないんじゃないかな。

食べ物に例えるなら、

本物のバナナと”バナナ風”みたいな感じでしょうか。

 

 

経済の発展や合理的な観点から生まれる、

テックを使った新しい選択肢も大事ですが、

リアルの凄さには勝てません。

 

勝てないんだよーと考える大人たちが減らないことも大切。

 

少し視点がずれますが、

作品の間にある10分くらいの転換もいいものだなと感じました。

ステージにはさっきのダンスの熱気が溜まってるし、汗の跡が残ってたり。

スタッフさん(生徒さん)の準備する姿が見えたり。

2分後にくる電車の待ち時間さえSNSなしでは待てなかった僕のアタマは

新鮮さを感じました。

 

そのSNSの情報は本当に今必要なのかな。と。

 

いつの時も目の前にリアルはあります。

 

神戸女学院の広告の

“地球はもう、待つくない。いま地球は四角い画面の中にある”

まさに。これ。

 

これはあるやろーと思ってるものは

なくなるかもしれません。

それも自分ではどうしようもなく、且つ目に見えない力によって。

 

 

 

僕たちができることはリアルを伝え続けること。

子供たちに”バナナ風”だけ残さないこと。

 

そこにあるものは当たり前じゃないし、コロナが落ち着くのを待って

リアルの力はすげーからスマホから目を離してこのリアルを楽しんだほが良くね?って話でした。

 

今日は逆にすごく心に残る一日になりました。

卒業生のみなさん4年間ありがとうございました。

 

 

みんなのもつリアルは困難な状況になってもき力になり

信じる道に導いてくれるでしょう。きっと。

ステキだよー。ありがとね。

 

 

たなやん。

 

PS  在学生の皆さんもすごくステキでした。元気が出たよ。ありがとうね。また4月にー♫